7ORDERは私の全部でした。
2023年。6月14日。20時過ぎ。届いた一通のメール。7ORDERからファンの皆様へ。嫌な予感しかしないそのメールを開くと、そこには世界一大好きな森田美勇人さんの脱退を知らせる文面があった。
そして、嗚咽を殺して悔しそうに顔を歪めて泣くメンバーの姿。
まさに、地獄だと思った。
7人でどんな時も一緒で、手を取り合って、時には本気の喧嘩をして、ぶつかり合って前に進んでいく。7人でいるためには、場所も環境もどうだっていい。どんな茨の道でさえも、7人だったら歩んでいける。その領域には誰も入れないし誰も邪魔できない。
それが、7ORDERだと、思ってた。
やっとメジャーデビューできて、でも、ここからで。怜央がTOKYO MXで主演ドラマが決まって、フジのバラエティに顕嵐が少し出演できるようなってきて。ようやく、スタートラインに立ったと、思った。
大阪城ホールでのライブを成功した彼らが、いつか、ドームという大きな会場に立つ。それも、もしかしたら、10年後には叶うかもしれないって、思った。
音楽番組で『Get Gold』披露して、「This is 7ORDER style」って言い放つ未来が、見えた気がした。
全部、全部、そんな気がした。
思い返したら、7ORDERになってからの日々はもちろん楽しく充実していたけれど、散々、″たられば″の話をしてきた気がする。
どうしても、あの場所にまだいたら、って。らぶのままでいられたら、って。歌番組も出れたのかな、とか。ドラマいっぱい出てたんだろうな、とか。もうドームやってた可能性あるんじゃない?とか。
うん、散々、たらればしてきた。だけど、最近の世の中と7ORDERの活躍を見ると、もうたられば話でさえもすることはない未来が来るのかと思ってたけど。
これから私たちは一生、たられば話をすることになる。
もし、7人だったら。
もし、森田美勇人がここにいたら。
正直な今の気持ち。
美勇人さん。なぜですか?売れっ子で引っ張りだこだった貴方が、事務所を抜けて、7人で活動し始めたのは、なんのためだったんですか?今まで、事務所を抜けた彼らに何か言ってきた人たちに、一種のブランドであるものが取れた彼らに興味を持ってくれなかった人たちに、何か言われるたびに、今に見てろって、絶対に見返してやるって、その一心で応援してきた。7人なら、必ず、その一歩がどれだけ小さかったとしても、着実に未来を作ってくれる気がしてたから。
なのに。
どうして。
美勇人さんが抜けたことで、バンドもダンスも難しくなるし、グループ名でさえおかしくなる。
今まで、7人で死に物狂いで努力してきた日々、なんだった??
貴方にとって、社会福祉したいからって捨てられるような簡単なものだった??
普段泣かないメンバーたちが苦しそうに悔しそうに嗚咽を堪えて泣く姿を見ても、戻ってきて欲しいってそれだけ泣かせても、それでも、気持ちは変わらなかった?
ううん、わかってる。これだけ森田美勇人という人間を応援してきた身として、美勇人さんがどれだけ温かくて優しい人かなんて、知ってる。そんなメンバーの姿を見て、気持ちが変わらないわけがないし、何も思ってないわけがない。たくさんの人を悲しませ、自分のメンバーがグループ活動できないくらい活動制限が出ることもわかってるはず。でも、それで揺らぐくらいの覚悟なら、最初からこんなことしてないだろうし言ってもない。だから、そう思うと、きっと何か大きな理由があるんだと思う。
貴方の人生は貴方のもの。
だけどね、貴方がステージに立ち歌い踊り演奏したり、笑顔を見せることで、数えきれないたくさんの人たちの心を癒し、時には心の病気でさえも治療し、車椅子でライブに足を運ぶ方達を幸せにしてきたんだよ。それは美勇人さんがやりたいような直接的な支援ではなかったのかもしれない。間接的だと、実感はできなかったのかもしれない。
だけど、本当に多くの人たちに、社会貢献していたんだよ。それって、直接的に何か社会福祉をするよりも、大きくて、みんなができないやり方だと思いませんか?
だからこそ、それでも、その道を彼自身が選ばなかったことが、悔しい。だって、きっとこのことも、当然、メンバーは何回も言ってくれてたと思うから。
私たちが、発表があったあの日にたくさん思いついたことなんて、全部全部この2年間でメンバーは言ってると思うから。
そして2年と言う期間があったのにも関わらず、誰一人納得いってなくて、いつもどんな時でも笑顔の彼らがあれだけカメラの前で泣きまくって、6人体制での歩み方をまだ何一つ決めてないなんて。きっと、考えたくもなかったんだろうなと思う。6人の7ORDERなんて成立しないって、メンバーが一番よくわかってるから。どうにかしてでも引き留めるために、6人体制なんて一切考えなかったんだと思う。全ての7人での活動やライブに全身全霊を込めて、美勇人さんの心に響くように、必死だったんだと思う。
でも、そうやってどれだけかけがえのない苦楽を共にしてきた存在の人たちに何度引き留められても、彼は別の道を行くことを曲げなかった。それが、ただただ、悔しい。
うん、もう、悔しい。とにかく。
ドン底から這い上がってきたようなそんな姿をファンとしてはずっと見守り、時には悔し涙を流し、歓喜の涙を流し、感動し、たくさん色々な人たちに7ORDERを知ってもらうために布教活動し…。そんな日々が、決して無駄ではないけど、でも、なんかもう、崩れてしまうんだなって。7人に、頑張って良かったってめちゃくちゃ大きい会場に立って嬉し涙流してもらいたかったなって。だから、そういう気持ちがあるから、ただただ、悔しくて。
あーだめだ。悲観的になる。今まで、本当に楽しかったのに。悲しいままは嫌だから、楽しかった思い出、少しだけ、大まかに、振り返ってみることにした。
7人の、歩んできた、軌跡。
7ORDERより前を振り返ったら、もう長すぎちゃうから、7ORDERからの思い出。
イベントで6人が再集結した時、嬉しかったな。ここからまた這いあがろうって、嬉しかった。
そこからは、イケダンが始まった。生配信をして安井くんも戻ってきて、7人で再始動して。7人のイケダン、毎週、本当に楽しい番組で、お腹抱えて笑う、最高に幸せな時間だった。関西に住んでる身からしたら放送日が違ったので、エムキャスでリアルタイムで見て、後日放送も見て、2回楽しめたな。
舞台『7ORDER』は、何回見ても泣けるし、DVDも、よし泣くぞって覚悟しないと今も見れない。″もっかい、やり直せば良くね?″って言ってくれる、ミュートが好きだったんだよ。″コイツらとなら、それができる気がしたんだ″なミュートが、涙が出るくらい好きだったんだよ。
『RADICAL PARTY』の、″いつか出会う気がするんだよね。俺みたいなカッコ悪い奴らに″と言って上を見上げる姿も、大好きだった。美勇人にとって、いかに7ORDERという存在が大きいかが伝わるから。伝わるから、見るたびに涙が止まらなくなるくらい、大好きだった。最後の挨拶で「好きなことを好きって言い続けて良かったって思いました」って泣いた美勇人に、心から良かったって思ったし、これからもずっとずっと好きなことを好きって言い続けて欲しいとその日から願い続けてきたけど。彼にとっての″好き″は、形を変えてしまっていたんだって、こうなってから、初めて気がついたことだった。
初CD発売の、Sabãoflowerは、まさかのメンバーたちによる手作業で。届いた時は、小さなシワとか、ハンコの掠れ具合とか。全てが愛おしかったな。動画も嬉しかった。そして未だに、シーリングの先のCD開封が、もったいなさすぎて、出来てない。
そしてここらへんからだったかな?コロナが流行し始めて。楽しみにしていた『GIRL』も中止になった。この舞台をいつか再演してくれることをずっと夢見てて、今も願ってたけど、どうやらもうその夢は、叶わないらしい。
『GIRL』MVは、7人が集まらないからこそ、アニメーションで発表されて。あと、届いたCDには折り紙がついてて、怜央の折り方動画を見て折ったら絵本の形になって、それがパスワードになってて、メンバーからのメッセージが見れたんだよね。自粛期間中でみんな家から出れない時のこれは、本当に優しくて温かくて嬉しかった。しかも、その動画だけじゃなくて実は、モスキート音がページに隠されていたりもしたね。モスキート音の解読、大変でした。笑
あと、マスクも届いた。7ORDERの優しさがすごすぎて、本当に幸せだったよ。今でも宝物です。
そんなコロナ禍では、そんな中だからこそ、頻繁にインスタライブがあった気がする。7ORDERでゲリラリレーし出した時は最高だったし、怜央と美勇人がインライしてて、怜央が安井くんとバトンタッチするって退出したのに、やっと繋がったと思ったら映ったのがまた怜央で。あの時の美勇人の「お前かよ」が兄弟みたいで大好きだった。
安井くんが始めたらじおごっこでは、みゅうたろう回を何百回聞いたかわかんないな。Make it trueのダンプラ副音声をして、自分たちが踊ってるくせに同じところで「やばいよー」って歓声上げたり、雨が始まりの合図の制作をした裏話を話して笑い合ったり、昔言ってた″爪痕を残す″の話をしたり。みゅうたろうの安定したトークは、最高だったし、いつもどのメンバーと話す時よりも撮影時間が長かったね。
そうこうしている間に、YouTubeのバラエティも始まった。毎週、イケダンだけじゃなくて笑い合ってる7人が見れて、しかもらじおごっこもあって。
無観客の 7ORDER初ライブ、UNORDERは、感動したな。7ORDERとして初めて、色んなスポットライトや照明にピカピカと照らされてステージで歌い踊り演奏する7人が昔の姿と重なって。今が幸せすぎるって。27の後の、ボードに怜央がロゴを描いて、そこに一人一人が自分のカラーを塗りつぶしてわちゃわちゃ笑い合う7人の姿は、あまりの幸せな光景にさすがに泣いてしまったっけな。
そこからは色々あって、7ORDERが1/13にメジャーデビュー&武道館ライブをすることが決まって。色んな記事で取り上げられる日が来た。これからきっと、最高の未来が来るんだって、信じて疑わなかった時代。コロナ禍で、開催することへの賛否両論がネットで飛び交う中、しっかりとした感染対策をしながら、武道館と大阪オリックスで開催されたライブ。コロナで泣く泣く空席は目立ったけど、十分にたくさんのペンライトに包まれ、眩しすぎるスポットライトを浴びて歌い踊る7人の姿はあまりにもかっこよかった。映像化されてないけど、オーラスで、「何より今日まで7人で笑って来られて良かったです」ってメンバーに頭を下げた安井くんと、そんな安井くんを見つめる美勇人さんの眼差しは、一生忘れない。
そこからは駅にポスター貼られたりアドトラック走ったり、夢のような日々だった。この7人がいつかこうなったらいいのにと願い続けたことが、少しずつだけど現実になっていった。
そしてこの2021年の4月からは、いま思い返したら一番コンテンツが充実していた時代だったのではないかと思う。
月曜はFC動画、火曜はNACK7、水曜はTikTok、木曜はピザ波、金曜はYouTube、土曜もTikTok、日曜は青春ファンク。
見事に1週間、毎日何かあったんだよね。うん、ほんと、幸せだったな。
あー、だめだ。こうやって一つひとつ書いてたら、この記事一生終わらないね。ほんと大きなことだけにしよう。
ツアーとしては、『WE ARE ONE』に続き『武者修行ツアー』か。
Zeppでのライブということで、倍率高くてチケット争奪戦だったよね。
そしてここでの記憶はとにかくもう、ペンライト事件。ペンライトを置いて手で楽しんで欲しいという注文が、最初からではなくツアー途中から入ってしまったこともあり、賛否両論がとにかく飛び交って、正直ここでたくさんのファンが離れていってしまったのも事実。私の周りでも数人、いなくなってしまって、辛かった。
今思えば、もうペンライトなんてどうでもいいし、一切持つな禁止って言われてもいいから、もう一度7人でステージに立ってほしい。7人で活動してくれてること自体ありがたいことを、この時の私たちは、当たり前になって、忘れていた。
次のツアーが『Date with.......』。
王道なツアー内容で、演出もすごくて、映像も迫力があって、なんてったって、花道を歩く彼らが見れて。全ファンが懐かしさを感じ、ずっとこれが見たかったんだよって喜び、幸せだった。
美勇人さんが一人で踊ってメンバーみんなが後ろで見つめながら歌う「Rest of my life」は、見るたびに感動して瞬きをすることも忘れ、オーラスは全力を出す美勇人さんに心が熱くなった。
今になって、このツアーの時には既にもう、脱退の意思を伝えていたということから、6人が彼に縋る気持ちで″君らしく進めばいい″″一人じゃない″″立ち止まることがあってもまた歩き出せばいい″と歌っていたんだろうということに気づいた。
その振り付けの中で、何回か歌う6人の方をジーッとただ見つめる美勇人さんがいて、最後にもう一度見つめるけど、前を向いて、そのまま椅子に触り、他の6人のスポットライトが消えるなんて。偶然だったとしても、今見るには苦しすぎる。
まるで今の彼らだから。
どれだけ6人が声をあげて美勇人さんを引き摺り込もうとしても、センターステージとメインステージくらい一人距離が出来ていて。
そのまま消えていくなんて。
まるで、まるで、今の彼らだった。
次のツアーは『脱色と着色』。
Zeppスタイル。しかもコロナが緩和され、座席無しのスタンディング。イケダンイベント以来だったかな?
そしてここから、7ORDERとしての原点、1曲の中でバンドもダンスもするというあの戦法が戻ってきた。そんな「Get Gold」を生で見た時の高揚感は、忘れない。
あとこの時の「27」のアレンジが好きすぎたから、もう一度、声が出せる状況で歌いたかったし、もう一度、7人のこの曲、聴きたかったな。
そして次が、『DUAL』。ホール公演も大好きだったけど、やっぱもう、大阪城ホールに立った7人があまりにも眩しく美しかった。美勇人さんの目も潤んでたじゃん。それでも、心が変わらなかったんだよね。残念で、辛くて、やっぱり、悔しい。
Huluでの番組、セブオダREBOOOOOOONにて、安井先生による学生の悩み相談で、「2つの夢があってどちらも親に反対されてるけど、どうしたらいいか」という質問が来た時の、美勇人さんの表情。そして、さなぴーの表情。今見たら、露骨にシビアな現問題が投げかけられてて、素直な彼らが表情に出てるなと思う。
その時に、突然、悩み相談の担当じゃないモロが突然出てきて、ホワイトボードに書いて熱く話し始めたのが、ものすごく印象的だった。
「バンドをやりたかった。ダンスもやりたかった。言われました周りから。どっちかに選びなさい、どっちもできるわけないって。そんな2つもできるわけないんだから大人なんだから選びなさい。俺らが出した答え。どっちもやる!!やりたいことがあれば、気合いでやる気でやれるんです。」
こうやって2つ両立できたでしょ、してきたでしょ?気合いでやる気で、できるって。っていう、モロからのメッセージだったと思う。
安井くんの
「一旦こっちやって、でもやっぱこっちもやりたいと思ったら、やればいい。そんな選択を取れる世の中になってきてるかなって俺は思う。だから、どっちもやってください。もし良かったら。」
という言葉も、
今思えば完全に、美勇人さんへのメッセージだった。
安井くんがいつもツアーの時に、「次会う日まで心も身体も元気にいてください!また会いましょうバイバイ!」って言ってたのに、今ツアーは、「どんなことがあっても人生は続いていきます。だからどうか笑顔でいてください」って言ってたのも、全部、この悪夢のような日が来ることを知ってたからだった。
昔、安井くんが雑誌で学生からの質問に答えた言葉。
『僕たちはみんなのエネルギーであって全てではない』
この厳しくもあり愛のある言葉を、こうなってから思い出してしまうけど、私もこうなってから気づいたことがある。
仕事の行き帰りに聴く曲、日にちを確認するカレンダー、飲んでるコップ、部屋で着る服、仕事から帰ってきてお風呂の中で見たり聞いたりするもの、寝る前に見るもの。
なにもかも、全部7ORDERだった。
笑っちゃうくらいに、全部、7ORDERだった。
でも、あんなに人生単位でも泣いたことがほぼ無い安井くんがカメラの前であんなに嗚咽を我慢して腕を何度も叩いて悔しそうに泣くなんて。
安井くんこそ、全部が7ORDERだったんだと思う。
長年一人でやってきた安井くんが初めて出来たグループで、初めて守りたいって、何よりも優先順位を一番上にしてきた人だから。そんな安井くんと1番の相棒なはずの美勇人さんが、最後に安井くんをあんなに泣かせてほしくなんかなかった。
安井くんと美勇人さんは昔から相棒で、爪痕を残そうという合言葉のもと、過ごしてきた。
そんな2人は誰も踏み込めない絆があって。端と端にいても、お互い発言した瞬間がわかって、「みゅーと、なに?」「やす、なに?」とお互いがお互いに気付ける存在だった。
安井くんが少し不安な時とか、今から頑張らないとって時に無意識に見てるのが美勇人だった。美勇人さんにとって安井くんは「7ORDER自体が安井謙太郎」と言うくらい、グループにとっての何よりも大切な存在だった。
″美勇人がいなかったら俺はもういなかったかも″なんて、″一番、本音を言えるのはやっすー″なんて。美勇人さんはいつだって、安井くんを尊敬してるし、安井くんはいつだって、美勇人さんのセンスに全信頼を置いてた。
美勇人の後ろには安井くんがいて、安井くんの後ろには美勇人がいる。それが、2人の関係だった。
さなぴーと美勇人さんは、芸歴で言うとグループの中での上2人で。ギターとベース。お互いが支え合う存在だった。前世のグループの時から″バディ″だった。
同じタイミングで寝て、同じタイミングでご飯を食べる。価値観や空気感が一緒だから楽だと、さなぴーが言う存在だった。ベーシストとして全信頼を置いていると。
AパターンかBパターンかという話し合いにおいて、Cパターンを作っちゃうような2人だった。
昔、さなぴーのことをみんなが怖がってる時代に「ジジイ」呼びし出したのが美勇人だった。
美勇人にとってさなぴーは、お兄ちゃん的な存在。どちらかというと下を引っ張っていくことが多くなっていた美勇人にとっての、信頼できるお兄ちゃんだった。
だから、甘えた表情でふにゃっと笑うときは、いつもさなぴーと一緒にいるときだったね。
モロと美勇人は、″イライラしてる自分を冷静で俯瞰で見るためにはどうしたらいいのか″をファミレスで明け方まで語り合っちゃうような仲。
7ORDERになってからはバラエティブラザーズと自分たちで言い合い、モロを中心に積極的にバラエティについて考え、どっちが兄だなんて小競り合っていたね。2人が考える企画は100%面白かったし、人狼なんて天才だと思った。泣きながら「お前の好きなように生きろ!」って背中押してくれたモロの優しさに、美勇人さんはいつまでも感謝し続けるだろうし、私もいつまでも忘れない。
萩ちゃんと美勇人は、1歳差の双子だった。
そしてベードラというリズム隊。バンド途中、キツくなる瞬間が一緒で、2人で目を合わせて乗り越えてきた。
まだLove-tuneが4人だった時に美勇人が留学へ行ったとき、「美勇人がいない1ヶ月間、俺らゴールなかったんだから!」と言い放った萩ちゃんが可愛かった。
別のスタジオで撮影予定の美勇人が、誰も来なくて寂しいと萩ちゃんと安井くんが撮影してるスタジオに来て、萩ちゃんの撮影に乱入しちゃうのも、本当に可愛かった。
美勇人がテンションが低いと、「テンション低くない?」とか言いながら、膝の上に乗る萩ちゃんと、それに対してされるがまま特に嫌がることもなく何も言わない美勇人。
美勇人を公式で表すと、スタイル+ダンスに加えて、世界をかけちゃう萩ちゃん。それに反し、萩ちゃんを公式で表すと、キレる+キレるとか言ってふざける美勇人。
そんなのが全部全部、2人だけの関係性だった。
顕嵐と美勇人。あまりにも強すぎるあらみゅ。前世で2つのグループを共にし、一番グループ歴が長いあらみゅ。
昔は美勇人さんが「顕嵐可愛い」って言って顔をワシャワシャーって犬みたいにいつも撫で回して愛が重めだったのに、いつのまにか顕嵐ちゃんの方が愛が上回っていった関係。
昔、「顕嵐と美勇人くんって付き合ってるの?」って聞かれて、即答で、「そう」と答えていた顕嵐。他の人と話すときも「美勇人くんと」「美勇人くんと」と言いすぎて呆れられていた顕嵐。
次第に呼び方が「美勇人さん」になって、それでも相変わらず何をするときも「まずは美勇人さん」って、美勇人ばっかで。
顕嵐はいつだって、誰よりも。美勇人さん愛に溢れてた。
顕嵐が「あはっ!」って声出して本気で笑う時は、いつも美勇人がそばにいたね。顕嵐にとって美勇人は、唯一、甘えられる存在だったんじゃないかなと思うよ。
怜央と美勇人。とにかく兄弟感が強い2人。
よく文面や言葉では、ナガツは美勇人にいつもくっついてると聞いてたけど、7ORDERになってメイキングとかで、うがいしてる美勇人に後ろからしがみついてたり、隣に座って腕とか足触ってたり肩に手回してたり、本当にいつもくっついている様子がよく見られた。
昔、美勇人がいないと美容院にも一人で行けなくて髪がどんどん伸びていくと言っていた怜央だけど、UNORDERのメイキングでヘアセットの時に美勇人がそばにいて指示出してた時には、いまだにそうなんかいと突っ込むと同時に、微笑ましかったな。
″あんまり注意しないけど、このままだとアイツが損すると思うときは言います″という美勇人さんは、いつだって怜央のことが大切で、守りたいと思っている頼もしいお兄ちゃんだった。
そして、「みゅっさんが好きだ」と言っちゃうような怜央は、いつだってどストレートに気持ちをぶつけてくれる、美勇人のことが大好きでたまらない弟だった。
7人と生きる毎日、楽しくて、宝物のような日々だったよ。
後ろで踊る彼らを見つけて、あー見切れてる!なんて怒りながら見た日々も、ライブの公演の昼と夜の間にカフェしながら時間潰して色々話す時間も、ランダムでなぜか毎回同じメンバーばっかり引いて、「また美勇人出ないわ💢」って言う日々も、何かのコラボでそこに行ったらたくさんの仲間がいた光景も。
全部全部、宝だった。
本音を言うと、
GIRL再演してほしかった。寝てる間にベッドごとプールに浮かせるドッキリ見たかった。またスマブラしてるの見たかった。体力測定見たかった。Heavyのダンプラほしかった。今年も誕生日メッセージ送りたかった。29でのオリジナルソング聴きたかった。30になったときのメンバーからの盛大なお祝い見たかった。
もっともっと、俺たちとみんなでせーのって、やりたかった。
ずーっと7人で、ただただ、ご飯を食べていて欲しかった。
喧嘩してほしかった。
でも、もう、全部、叶わないから。
ファンの皆さん、今までたくさん仲良くしてくださって、ありがとうございました。最近になって、美勇人さんのおかげで、色々なご縁が繋がっていたんだなということを実感すると共に、一人を失うことで芋づる式でこんなにもズルズルと色々なことを失うのだということを知りました。
いつかまた、時間がかかっても、笑える日が来る。このことに関してはいつまで経っても笑えなくても、いつか、それ以外のことで、笑顔で毎日を過ごせる日が来る。
そんな日が、皆様の元へ1日でも早く来ることを願っています。
そして、残された6人のメンバーへ。
どうか、負けないで。どうか、そのままでいて。無理に6人で活動しなくていいから、何もしなくていいから、個人活動でいいから、7ORDERというグループの名前を、消さないで。
美勇人さん、メンバーが一番知ってるように、浮き沈みの激しい気まぐれさんだから。いつか、「やばいベースしたくなってきた」とか「みんなで踊りたい」とか言ってきた日には、一回頬引っ叩いて、また一緒に活動してあげて。
私たちファンも、一回草燃やして、また7人を、今以上に応援するから。
だから。いつか、何年かかってもいいから、美勇人さんがふら〜って帰ってきた時に、またすぐに7ORDERができるように、どうか、そのままでいてください。
どれだけ年数が経ったとしても、その日が来たら、今ここにいるファンの人たちはまた、7人の前で笑顔で手を振っていることかと思います。
その日を楽しみに、また出会える日を信じて、私たちは明日からも、生きていきます。
だからそれまでどうか、笑って、そして、自分勝手な森田美勇人さんを、たまには会って支えてあげてください。彼の一番理解者である6人が、定期的にご飯に誘ってあげて話聞いてあげてください。
安井くん、これからも道は違うくても、ずっと相棒として美勇人さんの悩みを聞いてあげてね。
さなぴー、美勇人さんに何かあったらたまには叱って、そして誰よりも優しく守ってあげてね。
モロ、定期的に一緒に浴びるほどビール飲んでベロベロになってね。
萩ちゃん、リズム隊一人が心細くなったら、遊びでもいいから一緒にバンドしてね。
顕嵐ちゃん、これからもサウナに誘い続けて、一緒に行ってくれた日にはシャワー邪魔しに行ってね。
怜央ちゃん、なにか辛いことがあったら、また思いっきり美勇人さんに抱きしめてもらってね。
今までの7人の、全てにありがとう。
そして世界一かっこいい、森田美勇人さんへ。
9歳という子どもの時からこの厳しい芸能界に入り、そこから色々なことを経験した18年間。貴方にとってのこの日々は、どうでしたか?スポットライトを浴びて楽しそうな姿の裏で、どれだけ大変で悔しく辛い思いをしてきたのでしょうか。
TravisJapanとLove-tuneを掛け持ちしていた貴方は、年間で183公演というステージに立ち続けました。とにかく、当時は″社畜″と呼ばれるほど、自分でも″三つ子″と名乗るほど、ステージに引っ張りだこで。Love-tuneでの舞台公演の1回目と2回目の間にTravisJapanとしての舞台公演の稽古に行く。そんなとんでもない日々でしたね。
そこから、Love-tune一本になって、そこでも本気でメンバーたちとぶつかり合って。そして、大きな事務所を7人で飛び出し、7人で7ORDERとして生まれ変わりました。
そこからは美勇人さんの風呂場で衣装つくったり、車運転したり、撮影したり。何もかも1から自分たちの手でスタートしました。
私たちファンにとってそんな7ORDERは、暗闇の中に現れた救世主であり何よりもかけがえのない何よりも大切な存在でした。きっとそれは、美勇人さんも同じですよね。何よりも守りたい存在だったはず。
そして大切な存在だからこそ、グループ活動よりも社会福祉をやりたいと思ってしまう自分の気持ちに嘘をついて、活動できないと思ってしまったんじゃないでしょうか。そこできっと提案されたはずの一旦休止したらいいとかそういう意見は、自分のせいでみんなのグループ活動が出来なくなると思ってしまい、メンバーを想うがゆえに出来なかったのではないでしょうか。
昔から与えられた仕事は120%の力でやろうとする貴方だからこそ、大切な7ORDERという存在があると、社会福祉に力を注げないという決断になってしまったのではないでしょうか。
そして、きっと、いや、もしかしたら、また別の理由があるのかもしれません。
何はともあれ、優しい貴方だから、きっと、この決断に至るまでに色々な葛藤と、色々な思いがあったのだと思います。
たくさんの悩みから解放され、一人になった今、笑って過ごしていますか?笑顔で過ごせていますか?
こんなにメンバーが泣きじゃくっても頑固を貫いて抜けたんだから、抜けて良かったんだなぁとこっちが思えるくらい、社会福祉活動で大活躍して、幸せになってください。どうか、幸せに、なってください。頑固者で自分勝手な貴方のことを。やっぱり嫌いになんてなれない。大好きだから。幸せを、願っています。
だから、これからもFLATLANDやYouTubeなどで、何か発信をするときは、自分のできる限りの応援をさせてください。
たまにでいいから、インスタとかTwitterとかで、顔を見せてね。近況報告たくさんしてね。
それだけで、頑張ろうってたくさんの人の生きる活力になり、それが、貴方の求める社会福祉に繋がるから。
最後になりますが。
Love-tuneから7ORDERまで。
たくさんの夢を見させてもらったのは、
他でもない、
私たちの方でした。
いつかきっと、7人にまた、出逢える。
いつかきっと、7人と夢の続きを描ける。
そんな日が来ることを、願い続け、
6人の彼らが愛溢れる毎日を過ごせることを祈り続け、
森田美勇人の人生が豊かになることを想い続け、
これからも、強く、生きていきます。
なるべく笑って、なるべく楽しんで。
ファンである私たちだって、頑固に、好きなことを好きって言い続けていきたい。
だから。
7人の7ORDERにまた会える日まで、
森田美勇人さんにまた会える日まで、
またね。
自由な君へ、おめでとう。
2023.6.21 パセリン